ヲタクの魂100まで

アイドルヲタク人生の片鱗

アイドル気取りにハマったら沼が茶色かった話

2016年5月10日は、むすめん。というアイドル気取り集団の活動4周年の日でした。ずいぶんと遅くなりましたが、長い事ジャニヲタしていたいい大人が、デビューしてないアイドル(気取り)にハマった記録を、まとめてみようかと思う。

 

出会いは2013年10月6日。当時歌い手厨していてhalyosyさんが大好きで、楽曲提供をしていると知ってむすめん。にたどり着いたのがきっかけ。「なにこれさっむい!ここまでされたら好きだわ可愛い!行き過ぎてて可愛い!」というのが第一印象。この日のうちに公式SHOPで発売されていたシングル二種類をポチ。

このあとすぐに、2014年1月4日のツアーファイナル東京公演のプレオーダーに申込み。

「抽選だから、賭けよう。当たったら行く。外れたらやめる」

そんな当たり前なことを賭けにして、結果は見事当選。急いで飛行機取って、初現場となりました。

当日を迎えるまでの二か月間は、白服さんの動画を見まくり、とみたんにハマり、ぜっちゃんも可愛くて、どんどん箱推しに近づいていく日々。野崎さんのことはゲイランきっかけで知ってはいたけど、「ベントスキャラたってるな~」位の印象。

そして迎えた運命の1/4東京F。その日のツイートをたどると、「黒髪ベントスやっぱりツボ。息が苦しい」「ライブのベントスは輝いてた!めっちゃ笑顔と元気な踊りでおちた」「中野サンプラザには連れてって欲しいというか、連れて行きたい。ATMとして。あ、間違った。ファンとして」と、ほぼ今と変わらないテンションで帰宅。

帰宅後すぐに野崎さんの推しTをポチ。「このポチがベントスを応援することになるなら買うわ!」というツイート。やっぱり今と変わらない。

その後は毎日動画をリピり、メンバーカラーの茶色はサイリウムがないので自作に四苦八苦(光らせるとオレンジになる壁にぶち当たりながらストッキングかぶせてみたりと迷走)。

毎日毎日、野崎さんのことを考えて、家に帰っては動画見て、次のライブを楽しみに生きる生活が始まった。

6月から始まった全国ツアー。逆最前で、東京大阪に参加。楽しくて楽しくて楽しくて。ひとりぼっちで飛行機乗って会場行ってライブ見てホテルでコンビニのおにぎり食べて、ひとりで帰ってくる遠征。それでもライブの野崎さんは輝いていて、たくさんの元気を貰って、また行きたくて仕方なくて、恋い焦がれる様に遠征回数は増えて行った。

手紙を渡せるのも嬉しかった。メンバーから認知貰ってる人もいて、いいなと思った。後先なにも考えず、羨ましいなって思った。

それからレターセットを固定して、ツイッターのアイコンをシールにして貼って。大好きな人が、自分を知ってくれたら嬉しいなって思った。

仙台公演。整番は30番台。下手前列。自作の茶色サイリウムを持って参加。まわりに野崎さん推しはいなかった。ひとりだったけど、ステージの野崎さんが輝いてて、楽しくて楽しくて仕方なかった。野崎さんは何度もこっちを向いてくれて、終演後、まわりの他推しさんから「野崎さんすごい見てくれてましたね!?」ってびっくりぎみに声かけられて浮かれた。その後のハイタッチ、「見えてたよ」の笑顔。嬉しすぎて、どんなリアクションしたかはもう覚えてない。

その後の東京公演。名刺を持って手売りに行った。きなりといいますと自己紹介。野崎さんはふわっと笑って、「いや、もうわかりますよ」

「茶サイ、全部見つけたと思うんです」嬉しそうに教えてくれた。

私は、ただ、好きで、好きで。恋とは違うんだけど、とにかく好きで仕方がなかった。

ライブが楽しかった。楽しくて仕方なかった。そして自分が楽しい事、大好きな事、伝えたいと思った。

それを伝えられる現場。今までとは違う現場。信じられない位の幸せ。

でもなんだか、違和感を感じ始めてた。1/4東京F、野崎さんはにーちゃんの活動休止の日、自分も悩んだことを話してた。それは小さなとげのように、ずっと引っかかったまま、そしてステージの上の姿、レポで聞く話、知れば知るほど、どんどん大きくなっていく不安。

この人は、いつまで目の前にいてくれるんだろう。

はっきり言って、一年後どころか半年後のことも、わからないと思った。ステージの上、何度も悔しそうな姿を見た。話しながら自分をさして「こんなんですいません」と言われた事もあった。少しずつ広がっていく茶推しの輪。入る情報。それは不安をかきたてた。

平日5日、深夜まで働いて、週末東京に通う毎日。そんなの、続くわけないと思った。気持ちがあっても体がついて行かないし、体が何とかなっても心が持たないと思った。

ひどいくま。本当は体力のある人なのに、ステージで最後まで体がもたない。悔しそうな顔、倒れるように舞台そでに崩れ落ちて行く姿。完全に死んでる表情で、口元だけは笑顔をキープしてるのは、気迫を感じた。気力だけで立ってるなと思うことも多かった。終わったらそでで死んでるんだろうなとも思ったし、記憶がない、と聞くこともあった。

このツアーが終わったら?たとえ続けてくれたとしても、中野を達成したら。

いついなくなってもおかしくないと思った。怖かった。すごく怖くて、とにかく私はあなたが好きな事、大好きな事、楽しくて仕方ない事、元気貰ってる事。全力で伝えることでしか支えられないと思った。

応援の言葉を、後ろ向きにとらえて「すいません」と謝られたこともあった。それから、はっきり好意を伝えるようになった。恥ずかしがって曖昧なことなんて言ってられなかった。誰がどう聞いても愛情しか伝わらない言葉。あなたの笑顔で私も笑顔になるってこと。自分がどう思われるか、こんなこと言ったら気持ち悪いと思われるとか、そんなのはかまっていられない。

愛されてる事。全力で応援されてる事。絶対のファンがここにいること。自信をもって、この人は俺のファンだ、俺の事が好きなんだって思ってほしかった。

経済的には、はっきり言って無理をした。それでも、現場に通って、グッズ買って、ライブ楽しんでる顔見せて、あなたは必要なんだってこと、大好きなんだってことを伝えたかった。

ライブが本当に楽しかったから。大好きがつまってたから。私がこんなに楽しくて仕方ない事、伝わって欲しかった。

札幌公演。野崎さんは、「今日はいつもよりもうまくできた気がする」と言ってくれた。自分を肯定する言葉。泣いた。この日ツアーは最終日を迎えて、無事ツアーを完走して、次の不安は中野にうつった。

zepp公演。仕事が入っていけなかった。「もっとできたんじゃないか」悔しそうにしていたことを聞いた。そして、中野が決まったと知った。

まだ早い。夢を喜ぶよりも、そう思った。中野の先は見えなかった。ファンも、メンバーも。でも、進むしかない。走り出してしまったから。

この後のツアーも、無茶をした。体調を崩したこともあった。どうあがいても、道民。お金にも限りがある。生活もしなきゃいけない。

でもやっぱりライブは楽しくて、接触イベントも病んだり浮上したり浮かれたり、やっぱり楽しくて。仲のいい友達も増えた。ライブも前はひとりだったのに、一緒に観たり、終わったらご飯食べたり、しゃべりたおしたりすることも増えた。

楽しくて楽しくて、それを励みに仕事も頑張った。でもいつも、ヒヤッとした不安がこびりついてた。

中野の先。色々な人の話も聞いて、解散はしないだろうと思った。でもその中に、野崎さんがいるとは限らないとも思ってた。

だから中野アンコール。白服さんがむすめん。を仕事にしたいと言った時。続けてくれるのが嬉しかったけど、野崎さんの言葉を聞くまではわからないと思った。

「野崎弁当のいないむすめん。は心配だからな~」そう言ってくれた時。やっと私は救われたんだ。

それから、仕事を辞めて、東京に出て。くまもずいぶん薄くなって、「もう出れないイベントもなくなるんですよ」と嬉しそうに笑った。体力も持つようになった。二部のライブが終わってからも、死んだ顔もせずにツーショ撮って、かっこよくてこの世で一番可愛い笑顔見せてくれるようになった。

他推しの友達から、「野崎さん覚醒したね」って褒められて、嬉しくて仕方なかった。そうなんだよ、野崎さん覚醒したの。本当はこんなにすごい人なんだよ。今までだってすごかったけど、もっともっと力ある人なの。野崎さんに、他推しの友達が覚醒したねって言ってくれて嬉しいって報告したら、「え、嬉しい!すごく嬉しい!」って顔輝かせて、2人で拍手して喜んだ。

野崎さんを知って、世界は大きく変わったんだ。今までも、いろんな景色見せてもらった。人のつながりも、考え方も、生き方も。いろんなことが大きく変わって、私は今幸せだし、ずっとおまけの人生だと思ってたけど、生きててよかったな、生きてみるもんだなって思うんだ。

かっこよくて可愛くて誠実で全力で、びっくりするくらい頭おかしいところ、全力で推してる。

これからも、頭おかしい系茶推しのひとりとして。ついていきます。

あなたがいて、本当に良かった。